「ヒヤシンス」モチーフの意味・歴史・由来【ハンドメイド制作で役立つモチーフ・シンボルの意味】
ヒヤシンスは地中海沿岸地方原産の球根植物です。
春に小さな花を花茎に連なるように咲かせる豪華な花で、花色のバリエーションが豊富で香りが良いことから、チューリップやスイセンと並んで春の花壇を彩る花として知られています。
そんなヒヤシンスですが、悲しい伝説を持つ一面もあります。
このページではヒヤシンスの歴史や由来、花言葉などについてご紹介します。
ヒヤシンスの歴史
ヒヤシンスはトルコ、シリア、レバノン原産の球根を持つ多年草です。
古くから栽培されてきた植物で、オスマン帝国、ギリシャ、ローマなどで栽培されていたことが記録に残っており、ヨーロッパでは400年以上の観賞用としての歴史があります。
16世紀中頃にトルコからイタリアに持ち込まれ、16世紀にイギリスに伝わりました。
イギリスでは18~19世紀にかけて栽培が盛んになり、数百の品種がつくられました。
しかし、20世紀にはイギリスでの栽培は衰退し、当時作られた新種はほとんど残っていません。
オランダには16世紀に伝わり、18世紀ににフランスで栽培ブームが起こると18世紀後半には2000種を超えるようになったとされています。
18世紀中頃、ルイ15世がたくさんのヒヤシンスを植え、また、ポンパドール夫人が好んだことからヒヤシンスの栽培がブームになったと言われています。
日本語では「風信子」
日本語ではヒヤシンスを英語の名前そのままで読んでいます。
漢字表記の「風信子」英語のヒヤシンスの当て字だとされています。
ヒヤシンスが日本へ来たのは江戸時代末期で、当時は「夜香蘭(ヤコウラン)」や「錦百合(ニシキユリ)」と呼ばれていました。
明治時代になり、「飛信子(ヒヤシンス)」「風信子(ハヤシンス)」と呼ばれるようになり、大正時代には園芸植物として広まっていきました。
ヒュアキントスの物語
ヒヤシンスで有名な物語がギリシャ神話の美少年ヒュアキントスの悲劇です。
ヒュアキントスはスパルタに近いアミュクライ市の生まれで、アポロンに愛されていましたが、一方で西風の神ゼフュロスもヒュアキントスを愛していました。
しかし、ヒュアキントスはゼフュロスを拒絶します。
ある日、アポロンとヒュアキントスが仲睦まじく円盤投げの遊戯を行っている様子を見てゼピュロスは嫉妬に狂ってしまい、アポロンの投げた円盤がヒュアキントスに当たるように風を操りました。
円盤はヒュアキントスに当たり、アポロンが賢明な治療をするものの、その甲斐なくヒュアキントスは大量の出血により命を落としました。
ヒュアキントスの頭部から流れた血から咲き始めた花がヒアシンスの花で、この花びらには「アイアイ」というアポロンの悲嘆の叫びが文字で記されているとされています。
ヒヤシンスの花言葉
ヒヤシンスの花言葉はヒュアキントスの悲しい物語がモチーフとなっています。
ヒヤシンスの花言葉:スポーツ・ゲーム
赤いヒヤシンス:嫉妬
白いヒヤシンス:控えめな愛らしさ
紫のヒヤシンス:悲しみ
青いヒヤシンス:変わらぬ愛
黄色のヒヤシンス:あなたとなら幸せ
ピンクのヒヤシンス:淑やかなかわいらしさ